「遺書でも書いたらどうだい。」
 銀色の髪を容良く束ねた老女型の同僚に、小さな紙切れとアナクロな万年筆を寄越されて、ゲジヒトはわけが解らないというように眉を顰めた。
「どういう意味ですか。」
「アンタの就いてる仕事は、いつ死んでもおかしくない危険なものだと思うがね。」
 アンタ以外の皆、何があるかわからないからって家族に一筆したためていくよ。彼女はゲジヒトと自身以外誰も居ない詰め所にぐるりと眼を遣って、しゃんと伸びた背を崩さずに美しい姿勢のまま適当な椅子に腰掛けた。味気のないスチール椅子には不似合いだった。
「…ロボットも、ですか。」
「ロボットの私が書くように勧めてるんだ。人間も何もないだろうよ。」
「私達には電子メールを遣り取りできる電脳ネットワークが組み込まれている。いつでも通信が出来るのに、そんなアナログなことに何の意味がある。」
「悪かったね。フランス仕込みの酔狂さ。」
 ドイツ人は情緒を理解しないケがあっていけない。ため息を吐く老女の言葉と仕草は紛れもない人間のものだった。彼女のマザーボードにトレースされた人間の人格が、冷たい人形のようなと称されていたことを工学者から聞いたことがあった。なのにここまで違うのだ。自分の方が高性能だろうが、彼女の表情部のアクチュエータが少し古めかしいものであっても、老女のエスプリを理解する電子頭脳の“感性”に勝ることはないだろう。プログラミングだろうが脳ダウンロードだろうが、その部分だけはずっと変わらない。
「ドイツ“人”ではありません。」
「変わるもんかい。中身が違っても、結局行き着くところは一緒だろうよ。」
「…それは回路に人間の人格をダウンロードされたあなただからこそ言えることだ。」
「脳ダウンロードなんて前時代の産物、どこまで当てになるやら。」
 老女はフンと鼻で笑って肩をすくめた。
「造られた人格と感情の変数が自然に生まれ持ったもののそれに劣るなんて、世界最高水準のアンタが信じているのかい。馬鹿馬鹿しい。なら私は、それこそ私のオリジナル素体の有機ボディは、あんた達よりずっと作り物めいてロボットらしかったろうよ。」
 ロボットのようだとか人間らしいやら、何を理解するとか理解しないとか。作成された意味や存在意義に比べたら明らかに意味がない。言って老女は指を組んだ。
「私はね、人形を葬るために生きてきた。」
「知っています。」
「生きている意味も存在意義も、既に強く定められていた。私が若い頃から。性格や感情といった変数を理解しないことが劣ったことのなるなら、そういったものを棄てた私はアンタのどれだけ下になるだろうね。」
「比較することに意味はないでしょう。」
「そうだろう?意味がないのさ。人間はカテゴライズがお好きだからね。国にまで人格を求めて意味のない人物を作って祀り上げる暴挙にまで出て、批判と肯定の間でどうでもいいくだらない論争を戦わせている。そんな愚かしいものを見習わなくても結構だ。」
「貴方も彼らがお嫌いでしょう。」
「カテゴライズの末の擬似人格なんかに興味はないね。肯定も批判も全く意味がない。」
 意味がないことが悪いことではないけれど、それにしてもやりすぎさ。淡々と言う老女型の元人間は、心底呆れているようで眉を強くしかめて苦い顔をしていた。
「柔軟ですね。」
「年の功さ。」
「貴方の同類のフウ・インダストリーの総裁のご息女も、貴方から同じ事を聞いたのでしょうか。」
「似たようなことでも言ってたのかい。」
「意味がないことが粗悪な要素にはならないという意味合いの発言を常々していたのは知っています。」
「自らの存在意義についてなら、あの小娘が一番考えていただろうからね。難儀な女だ。そうさせたのは私達だったのだろうが。」
 脳ダウンロードとクローン技術の粋を集めて作られた人造人間の女は、ゲジヒトにも老女にも馴染み深かった。ゲジヒトにとっては彼女は日本の同業者で、老女の人間だった頃組していた組織の顔なじみだ。
「あの女を見ればいい。人工物も自然物もそう大して変わらないことを体現してるようだよ。ダウンロードされた元の自我だって、0と1に解体された只のデータだ。細胞だって生きた皮膚のかけらさえあれば簡単に万能細胞を培養できる。あの男何をトチ狂ったかと思ったものだけど、その技術が応用されて病気で死ぬ人間が減ったことは事実だし、私達のせいで小娘が死ななかっただけよかったろう。」
「結果論では?」
「過ぎたプロセスを批判しても無価値さ。」
「そうでしょうがね。」
「アンタ達は人形じゃない。」
「どう違いますか。」
「造られた意味と存在意義さ。人を殺すことが出来ない、それだけで全く持って別物さ。」
 何処か違うところを見ていた老女は、ゲジヒトに柔らかい無表情で眼を遣った。彼は地面が覚束ないような気分になる。本当にそうだろうか。本当にロボットには人間が殺せないのだろうか。何によるものかも定かではないゲジヒトの訝しみを、老女は察知できないはずもないのに無視をした。
「遺書を、」
 貴方も書きましたか。ゲジヒトは尋ねた。老女は頸を横にゆっくりと振った。
「もうそんなものを残したい存在は、私を置いて何処かに行ってしまったよ。」
 私はこれから、残った人形達に引導を渡す最中に死ぬだけさ。
 老女ははっきりと言った。


2011 01/05