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あのね、居合くん。舌足らずな声が口を割った。 「私は君が好きなんだけれど、」 そうして包み隠さずに好意をつむがれるのは、少年には如何にも耐えがたい羞恥を呼ぶものだった。彼女はおっとりと柔らかく只彼の一歩外に身を置いて彼から受け取った本を胸に抱えて居る。今時の女子学生の平均的なスカートの丈と、夏になっても黒いタイツの脚から眼を反らした。どんなに目の外に追い遣っても、黒い黒い二本の其れにどうしても眼が留まるのだけれど。 校則に反するようなくるくると弧を描く髪は天然のものだそうだ。「校則違反のパーマを当てて真っ直ぐにしてきた方が良いなら、何時でもそうするわ。」気を悪くした様子もなく臆面もなく、ただそうした方が良いならと意見を求めるのみの眠そうな半分降りた二重からは、其れを見咎めた少年に対する気を悪くした様子は見受けられない。反面少年も、小馬鹿にしたような言い様に腹は立たなかった。確かに良く観察してみれば学校の中では動き易いようにきちんとくくって居たし、ただ事実を述べる顔からはいやみの一つも見当たらないからだった。何時も教室の自らの席で何か本を読んで居た。たまに友人に話し掛けられる以外は小難しい雑誌か文庫を手から離すことはない。物静かな横顔からは目立った反応も見当たらない。何かに執着もしないような穏やかでニュートラルな彼女に眼を留める者はなく、只其処に在るものとして存在する彼女が、少年には妙に好ましいものとして映るのだった。本が好きな彼にとって少し話し易い、貸し借りをする別性の友人だったのだ。 沈黙。少年から借りた司馬遼太郎の文庫本を胸に押し抱いた彼女はどのような顔をしているのか。少年には確認する決意はなく、少年の落とした目線の先で少女は一定の距離を保って赤いスニーカーを八の字にしていた。内股に歩く猫背の彼女は自らの長身が嫌いだと嘆いていたことを思い出した。其れは好き嫌いを面に出すことの少ない彼女の初めての自己表示だった。思い出して眼を少し上に上げる。結われた柔らかな赭髪がうねりを見せて肩に掛って居る。顎の線、口許。彼女の眼は見ることが出来ない。 「君が今まで通りが良いのならそうするわ。」 おっとりと柔らかに話す彼女の初めての早口だった。ぷつぷつと口を動かしたあと、くるりと踵を返して小走りで廊下を走っていく。スカートのひだが翻って黒い二本が動く。 「貴方はどうしたいんだ。」 少し声を張った。小さくなっていく背を其処に留めたい逸った声だった。ぴたりと黒い二本が止まる。身を縮める様に文庫を抱き締めたようだった。斜めに少し此方を振り返る。顔は、赤かった。 彼ははっきり思い出していた。「周りの女の子を見ると少しみじめになるわ。」とちいさく今のようにぷつぷつと口を動かした彼女と、その彼女の本音に触れたときの確かな苛つきと少しの嬉しさを。 「貴方は、どうしたい?」 深呼吸をしてから、何時もの彼女がするようにゆっくりと口を開いた。質問をされたことに質問で返すような無礼は好まなかったけれど、良く考えなくても彼女は質問などしていないのだった。だから、彼は質問をした。 少女は眼を泳がせた。おどおどと落ち着かない様子を見せて、それから息を止めた。 「名前を、呼んでも、いい?」 彼女は小さく「あと名前を呼んでほしい」と、またぷつぷつと呟いた。 何処までも控え目な言葉に、少年は少し吹き出した。彼の手には少女から借りた夢野久作が握られている。 余った栞が有るから、あげようか。いつもより少し砕けた口調で言って、其れから彼女の下の名前を初めて呼んだ。少女は何時もの眠そうな眼を開いて、紅潮した顔を頷かせた。満面の笑みは、初めて見た。 其の栞は余った訳ではなく、彼女が好きそうな可愛らしい赤い花の其れが眼にとまってつい購入したものだと言うのは、別の話だ。 |