苦痛に躯を浸し続けて、浴びせる罵倒に耳を澄ましている彼を見ていた。
 それは長い時間。とても長い間。断片的な彼の要素に余すところなく眼を凝らして、子供を脱ぎ捨てて私の前に立ちはだかるまで。
 私は傍観者だ。観察をする其れ自体が対象に影響をあたえることに気が付いていなかった下らない偽善者だ。客観なんてものはない。何かを見るという行為自体が、見ているモノに其れを意識させる。
 そして物語は傍観者の視界で変わる。本当に見たい結果は、観察をしないという行動以外には求めることはできない。
 現に彼は輪の外に居ると思い込んでいた私に眼を注いでいた。ない筈の選択肢を拾い上げた。私はその物語に組み込まれた。組み込まれていないと思っていたのは私だけだったことに気付くのは、もっとずっと後のことだ。
 風が吹いた。冷たい。残暑もすぎてもうすっかり秋だ。
 昔子供だった彼を、私は雑踏に紛れて待っている。彼と家に帰るために待っている。
 彼が帰るところに固執していると気付いたのは何時だろう。つい最近のようにも思えるし、私は其れを知っていたような気もする。
 彼は“帰る”ために外に出ていく。何時でも何もなかったかのようにおかえりと言われることを望んでいる。
 だから私は追わない。何があっても彼を追いかけない。きっとそれは簡単だから。何よりも簡単だから。
 彼は、己のことで苦悩する姿を見せることは望まない。其れで危害を加えることをとてもこわがっている。恐いことなどないとにこにこ笑っている顔の裏側で、私に触る手は何時でもおっかなびっくりだ。
 彼は歳を重ねる毎に臆病になっていく。子供の大胆さを取り払った大人の彼は、それこそ静かに毛を逆立てる手負いの犬のようだ。
 そんなあのこに、行かないでなんて追い縋れる?

 だから私は待っている。迎えはいらないと頚を振る彼への少しの反抗に、家の電気を消していく。彼の一番の願いである灯りの点った暖かい箱という理想は叶えてやらない。本当にしょうがない八つ当たり。意味のない行為。
 だって、さっき彼を犬のようだと言った私は、彼が雑踏の隙間からすこしの匂いをさせただけで、彼の足音を聞き分けただけで、パブロフの犬のように涙が溢れてくるのだ。会いたくて仕方がないのに、淋しくて仕方がないのに、言わないのはあの子が私を嫌わないようにだ。本当のことなんて、最初から知っている。


 スモッグに霞んだ月が高層ビルの隙間から覗いている。
 私たち負け犬の関係は、傍観者を得た今、どちらの方向に転ぶのだろう。





負け犬