同田貫は落伍者であった。

 ある日その眠った精神を揺り動かされ、肉を得たときから彼の落伍は始まっていた。  先ず刀である自らが、元々自分たちを振るっていたもののような弾力のある変な形の芯のある護謨鞠に化けていたこと自体が、既に同田貫にとっては刀として失格であった。
 刀は刀身も冴え冴えと、ほっそりと硬質でなければならない。同田貫は他の珍重されている自らと同じ存在のものに比べると重ねが厚くずんぐりとして、素肌を斬るための刃ではない。しかし頑強であった。他の刀が苦手とした鎧兜を断ち切った。それは同田貫にとっては強い誇りになった。振るったものは同田貫を振るいその手腕を、同田貫は振るったものに振るわれたことでその剛を証明した。
 刀は振るわれるものだ。同田貫はその身に似た堅い信念に於いて、そう強く定義付けている。
 護謨鞠は斬撃として同田貫を発射する、動力が持つべきだ。
 喩えるなら弓と矢。刀はしなる弓の力を得て発射される矢と同じだ。矢までぐにゃぐにゃしていたら、まったく持って赤丸を射抜けるものではない。だから、護謨鞠の体を得てしまった自らは既に刀ではなかった。
 護謨鞠となった同田貫は、誇っていた自らをその手に握りしなる弓となった。そうして、弓となった他の刀と共に、そのきらびやかさと脆さに劣等感と優越感を刺激されながら暮らしている。
 この精神状態こそまさに落伍だと、嫌気も差さずに只そう感じた。思うのではなく感じたのは、同田貫が「落伍」という言葉を知らないためだった。


 嫌気が差さずに済んだのは、護謨鞠を象った審神者という存在が、同田貫が視たことがある中で一等脆い性質の動力であったためだ。
 ははあ、成る程。同田貫は得心した。
 其れはひどくひょろ長かった。刀の時分に見た事のある、女という護謨鞠のちびた姿ではなく、若しかしたら同田貫の体躯よりも長いかもしれない。しかし着物から覘く頚や手首は同田貫よりずっと細く、肌は柔らかそうでひどく白かった。玄い喪服ばかり着ているから余計に締まって見えたし、首筋は冴え冴えと白く伸びていて、その先についている貌は小造りだ。
 得心したのは、自らが護謨鞠になったその理由だった。これじゃあ刀は振るえない。だから自分はこのひょろ長い、見るからに脆い弓弦のようなものの代わりに自らを振るうために動力を得たのだと深く理解したのだった。
 此れの為に頑強さと共に腕前を振るう。上等だ。やはり自らは振るわれるのだ。脆い持ち主の代理として自らを振るうのだ。其れは同田貫を芯から燃やすには十分の理由だった。だから倦んではいるが、嫌気は差さずに済んだ。
 生来の性質を、頑強を求められたのだ。それに酬いらない恩を知らないものでは、同田貫はなかった。


 正国と、玄い弓弦は護謨鞠を呼んだ。
 玄い弓弦は同田貫と同じ肥後の生まれであった為、平素黙って隠しているその訛りを開けっぴろげに、「正国」と話しかけた。
 その度同田貫には腹が震えるような可笑しさがこみ上げる。屹度、同田貫という刀にではなく、動力である今可笑しさを覚えている護謨鞠に対する呼び名であるからだろうことが判るからだ。
 考えると道理である。刀である同田貫は、視ることはあっても喋らない、ものを思わぬ鉄の塊であるからだ。「正国」とは多分、護謨鞠の名なのだろう。元々正国という名は、朝鮮の役の際、持ち主の名を取り元の名から改名されたものだった。名の源流が護謨鞠であるならば、護謨鞠にこそその名は与えられるべきだ。
 弓弦はことばを交わすことを欲した。だから、護謨鞠である「正国」は其の呼び掛けに応えた。使おうと思えば使えたので、弓弦の前では昔自分が在った郷里のことばを話した。弓弦はひどく喜んだ。気兼ねすることがないところころと笑った。
 戦のことを何も知らない。教えろと乞われたから教えた。その代わりに知らないことを、その弓弦のくるくる回る舌と、住んでいる屋敷の些事と内番で覚えた。他の刀の前で無口な弓は、教えろと乞えば喋ったし、黙れと云っても喋ったし、何もなくても喋った。同田貫が無理をして護謨鞠を動かそうとすれば、ぴしゃりと正国の額を打ってから早口で「あからんね、しょんなかね、ガンタレ!」だめね、しょうがないわね、ロクデナシと叱った。
 正国が反応できずぽかんと口を開けて弓を見ればくしゃりと顔を歪ませて、しゃくりをあげて泣いた。
 「同田貫」から視ても、「正国」が見ても、本当に五月蝿い「女」だった。
 正国は女というものを知らなかったし、同田貫は視たことがあっても其れが口を利くところは知らなかった。ただし、男であるらしい自らや別の屋敷に住んでいる護謨鞠の口の利き方と弓弦の話すことばは全くの異質だった。声さえ違った。高い声をした小さい護謨鞠の短刀たちと比べても、また違っていた。
 正国はそこで初めて弓弦を女なのだと認識した。
 また、面倒臭くて脆くて、五月蝿い。其れが女であると定義した。正国が女というものを身近なものと捉えたのは、弓弦が初めてだったからだ。刷り込みで想像の素体を得た。
 其れと同時に、対比するように、自らの護謨鞠が「男」であることを、自覚した。
 只、それは弓弦と比較した自らのあまりの差異に、とても同じものだとは思えないと否定したのみが理由だったのだが。

 正国はそれから戦を教える行為を、何故か目の前の女にすることが出来なくなっていった。



 腹の奥に泥が溜まる気になることが増えた。
 身体が重かった。其れを女に零したところ、正国は酷く心配をされて養生しろと自室に閉じ込められた。
 寄った眉根の形がぼんやりと思考に掛かる薄靄に投影され、霧散して翳むを繰り返す。結果動かず静養しても治らぬことを一日を無駄にして悟った正国は、一度其れをこぼしただけで、もう誰にも不調を訴えなかった。肉の身体を良く知る女の対処に効果がないのだから、肉に覚束ない己たちには如何とも出来ることではないと判じたからだ。
 それでも今日は、あまりにも表情が優れないのを捨て置けず、女が無理やりの休暇を正国に与えていた。おかげで内番や手合わせで賑やかな本丸の中、正国は自室に一人で篭っていた。解っていない。一番質が悪いのは、思考に沈まなければいけないこのようないとまの時間であるというのに。
 肉を纏い生を送ることに不慣れである正国は、腹の中の泥に少しだけ怯えていた。泥を意識する度、其の都度膨らんでぶわぶわと自らを包む妄想に駆られて恐ろしかった。汚れるのは全く構わなかったが、泥が自らに取って代わってしまうのではないかと考えただけで身の毛がよだった。刀である証明の定義を、喪ってしまう可能性が思考に掛かる靄の正体だった。
 己の強固な、堅い信念が折られてしまうことだけは避けなければならなかった。
 であれば、泥に怯えていることを周囲に悟られることも避けなければいけないのだと正国は結論付けた。其の結論までに重ねた思考も、靄に翳んで消えた。
 護謨鞠を「身体」と称するようになってどれくらい経つだろうか。ぼんやり翳み掛かった頭で「考えた」。「考える」など。可笑しくなって一人で笑った。先だって役目があり道具だったことに歓喜した己が、考える。思考することは道具のすることではない。滑稽だ。何度も繰り返した自問だったので、既に此の思考の原因となったであろう女とのおしゃべりはすぐさま控えたし、郷里の言葉を使うのは止めた。普段の言葉で問いかけを返したときの寂しそうな女の顔を見た一瞬だけ、腹の泥はすっと姿を消した。
 それからは、また溜まっていく泥にぼんやりとした不安を抱えている。
 護謨鞠であればよかったのだ。中に空洞のない只の動力として在ればよかった。
 只既に正国は、護謨鞠が筋肉というたんぱく質であることを山伏の言葉で知ってしまっていたし、合戦に赴くことで筋肉の内側が血を撒き散らす空洞であり、激しく動いた後の空虚が耐えられないことを、燭台切の作る味のよい料理というものでパンパンにすることの充足感を知っていた。女が魚を焼くことが上手いことと、その皮を乗せて茶を注ぐ湯漬けを啜って青菜の漬物を一口最後に放り込んで食事を終わらせることが快いことだと思わされていた。刀はおろか護謨鞠にすら戻れなかった。
 この持たされたものが生きた肉であるという自覚を、過ぎるくらいに持たされていた。
 落伍だ。
 正国は落伍という言葉を知った。歌仙が好んで読んでいたなんとかという作家のいづこへという小説をそらんじたときに知った。「学校の机の蓋の裏側に、余は偉大なる落伍者となつていつの日か歴史の中によみがへるであらうと、キザなことを彫つてきた」そう諳んじた歌仙に「ほんとは柔道部の板戸に彫ったって云われてるのよ。」と郷里の言葉を隠してぷつぷつと泡がはじけるような小さな声で女が言った。それに歌仙が興味深そうに身を乗り出し、女はまた泡がはじけるちいさな音で笑った。偉大なる落伍者とはどういうものであろうか。聞いた感触の悪い言葉を手放しで肯定した坂口という作家が、正国には少し羨ましかった。
 飛んだ意識を落伍という言葉の意味に頭を振りかぶって戻す。能力不足で周りから遅れること、または遅れているものを指した言葉だった筈だ。
 今の己そのもののようではないか。正国は歯噛みする。
 集中できないせいか戦でも活躍できない。己より後出の蛍丸はずっと上手に獲物を狩るせいで、めきめきと頭角を現している。他の太刀も、屹度今の正国よりもうまく立ち回るであろう。自分よりもきれいな刀が。自らよりも劣っているだろう刀が。そう考えると屈辱に涙さえ出てくるようだった。
 捨てられるだろうか。あの女に。俺は。
 ふと過ぎった疑問に、泥がぼこりと音を立てて逆流するような違和感を感じた。まさか俺が、あの女々しい加州のようなことを一瞬でも。泥に出現した泡は大きいものから細かくなり、ぷつぷつと音を立ててはじけていく。女のあの郷里を隠した言葉だった。はじけた飛沫が頭にこびりつく。腹にある泥の筈なのに。
 道具であればよかった。道具で居れば空虚など抱えず泥を溜め込むこともなかった。きっと何も思わないから、劣等感を感じる隙もないだろう。完璧だ。握られる代わりに握る刀であれば、護謨鞠を貫けばよかったのだ。
 もう刀ではない。護謨鞠でも居られない。それでは此の空虚を抱えた身体は何だ。男という単語がぷかんと泥から浮き出てきたが、それはあの女と自らを対比した結果の定義であり、今の正国の泥の奔流を鎮める力強い堰には到底ならなかった。

 己は何者なのだ。男とはなんだ。

 泥の詰まった頭の泡がぷつぷつと。あの女が囁いている。密かな声で。
 (なんちゃなかち、あれが云うちくれたら、そっだけでもうよか気もするバッテン。)
 正国は大きく膨らんだ内側の空虚に一番己が見たくない女への甘えをうつして、女の声を反芻しながら、今日も眠った。







いづこへ。



お題:落伍を夢見て。
刀剣乱舞夢小説企画、きみがため様に寄稿させて頂きました。
素敵な企画をありがとうございます!