ちゃん」
ツインテールの黒髪がぴょこんと撥ねた。待合室の椅子から勢いよく立ち上がって、日本からの来客者はにこにこしている出迎えに走り寄る。
「ウランちゃん。」
「元気だった?」
「うん。ウランちゃんは?」
「元気よ。お兄ちゃんも。」
「御茶ノ水博士とアトムくんは?」
「今エアフロントで手続きしてる。」
本当は私も行かなきゃ行けないんだけど、面倒くさいから荷物番ってことでフケたの。舌を出しておどける少女に は笑った。
ちゃんのおかあさんもきっと来たかったんだと思うんだけど。仕事が終わらないんだって。」
「あんまり休みは取れないだろうしねえ。」
「割りを食ってるみたい。日本の警察がそういうことしたんじゃないのに、苦情が凄いんだって。」
「ユーロポール発祥以来の不祥事だもんねえ。」
ロボット刑事の殺人、揉み消し、あってはならないことが招いた結果は大きな混乱だった。数多く投入していたロボット刑事達を始め人間の職員にまで波紋が広がった。威信と信頼は地に落ちた。それでも今は亡き殺人者に世間が同情的なのは、彼の息子がロボット連続殺傷事件の被害者であり、彼が殺した人間がその首謀者であったことも明るみに出たからだ。加えて、彼が先立っての7大ロボットが殺害されるという事件の解決に総てを懸け、単独捜査の末に命を落とした高潔さが人の琴線に触れたのだろう。
馬鹿らしい。
彼が、ではない。彼を殺人者にしたのも殺したのも人間であるはずなのに、それも自覚せずにただ押し付けるように評価を求める私たちは何と勝手なのだろうか。はなんだか冷めてしまっている。どうでもいい。スケープゴートを造らなければ成り立たない人間の良心も、それを利用して何かをしようと企んでいる法学者や反主義者も、総てがくだらなかった。
「なくなっちゃうの?」
「ん?」
「孤児院。」
「うん。私には教員の資格がないから。」
「…そっか。」
寂しいね。ウランのしゅんとした顔に、は院長になるひとを募集すればいいんだけどと自嘲した。勝手なのはそうして他者を蔑んでいる惺自身だった。子供と自分の関係に、なくなった構成要素の位置に誰かが割り込むことが我慢ならないから。それだけだった。自分本位過ぎる自覚は、ありすぎるほどに持ち合わせている。
「日本に帰るの?」
「どうだろ?そのつもりは、ないかな。」
「決めてないの?」
「ビザは労働許可が出てるものだし、工学者として仕事することを考えたらオーストラリアのほうが都合がいいんだ。日本に帰る意味もないし、だったら持ち家もあるしここで何とかしようかなって。」
「持ち家って…ちゃん、孤児院に一人で残るつもりなの?」
声を荒げる少女に、惺はただ笑っている。
「実家に帰らないの?おかあさんはなんていってるの?」
「帰ってきなさい、だって。」
「そうすればいいじゃない」
「ここを離れたくないんだよ。」
ちゃん、だめだよ、そんなのよくないよ。なんだかわかんないけど、そう思う。」
「ウランちゃんは、お兄ちゃんが死んだらどうする?」
咳き込むように頚を振っているウランに、はにこにこと問い掛けた。少女は息を吸う。何かを言おうとして、それは発生されずに息になって消えた。どうして笑っていられるんだろう。それだけが不思議だった。違和感にびりびりと肌が震えていた。
「そうなるところだったんだよね。悲しかった?」
「…悲しかった。」
「自分にもっと何か出来たんじゃないかって、思わなかった?」
「…思った。」
「あのね、私、自分が嫌いなんだ。」
「え?」
「自分に向かう憎悪は、何時か誰かに跳ね返るんだって。誰かはわかんないけど、いつかはわかんないけど、そうなるんだって。だから、私自分が嫌いだけど、もう人間が嫌いになっちゃった。」
こどもたちは好きだけど、あの子達が人間になっちゃったらどうなるかはわかんないな。頚をかしげながら言われた其れが、ウランにはよく分からなかった。子供だって人間なのに。ぎゅっと眉を顰めているウランは、身体の形がどうあれロボットでしかなかった。其れを自覚して享受していた。羨ましいと思うことはあれど違うことに劣等感を覚えたことはない。其れは学校の教師が彼女を個体として認識してくれていたから、人間と自分達は違うということをただの事実として受け止めていた。だから、目の前の人間が言っていることが余計にわからない。
「まあいいや、この話は終わりね。」
ちゃん、」
「終わり。ね?」
ジュース買ったげる。荷物もちょっとだから、もってこうよ。は強引に話を切り上げて、横のトランクを手にしてエアポート近くの喫煙所へ歩き出した。ウランはそこで、女に会ってからずっと抱いていた違和感の正体を知る。
は、空港に来てから一度もウランの眼を見ていなかった。
ちゃん、少女の急くような逸るような訴える色の濃い声に、ああ見て、と女は促してエアポートの一面のガラス窓に眼を投じた。
「歪んだ虹ね。オーストラリアで見られるなんて思ってなかったよ。」
の目線を追う。曇り空の下にどこまでも折り重なる七色の其れは見目麗しく、何処か不気味だった。異常気象だ。こんな昼間に、出るはずもない地域にこんなものが。世界はあれからずっと怪訝しかった。ウランが他者の強い悲哀を感じ続けていたあのロボットの事件から、ずっと。
「磁場が狂ってるんだねえ。それとも、狂ってるのは私たち?」
「…」
振り向いて笑って見せたに、ウランは顔を歪ませた。彼女の圧し殺していた、ウランの肌をぴりぴりと苛んでいた強い感情を敏感なセンサーが察知したためだった。
悲しくて仕方がなくて、だから女は笑っているのだというどうしようもない事実が、ウランの心を裂いた。



2011 01/05