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「今の私達は、一体なんという存在なのでしょうか。」 暗い森の奥深く。彼は彼の同類と、只並んで話をしていた。どうなんだろうねと、同類は少し苦笑しているようだった。 「私は死んだのではなかったのでしょうか。」 「死んだんだろう。だってほら、君は僕と話している。」 「ゲジヒト、」 おどける同類に、エプシロンは眉をひそめた。幽霊か。ゲジヒトはたしなめる彼を受け流して軽い口調でつぶやいた。訝しがる彼がゲジヒトにはなんだか可笑しくて、しょうがないだろうと笑う。 「ロボットだった私達にはあまり似合わない呼び名だな。」 「似合うも何も、私達には人間で言う魂という概念は存在しない。」 「きっと近付き過ぎたのさ。君が言ったように。」 彼の発言を引き合いに出した同類にありえないと吐き棄てるエプシロンに、そのありえないことが今、私たちの身に起こっていると悠々返した。深刻味が薄く落ち着いていた。未だに自らが自我を保っていることに困惑しているエプシロンと対比させずとも明らかに。 「冗談はさておき、どういうメカニズムかは興味がある。張り巡らせたネットの切れ端が未だ機能しているのかもしれない。それとも君と私の壊れたメモリー自体がひそかに交信しているのかな。」 「電気信号は既にストップしているはずです。」 「夢かもしれない。」 夢、ですか。オウム返す彼に、ゲジヒトは今際と言うのは知っているかいと聞き返した。エプシロンは「考える」。もう彼の身体にはメモリーも回路もICチップも存在しない。これはネットを用いた検索ではなく、考えるという行為だった。 「走馬灯、ですか。」 「強く焼きついた記憶を、死ぬ間際に回想するんだったかな。ロボットでもね、同じことをした奴を知っているよ。知能ボミングやバグといってしまえばそれまでだがね。あれに似ているかもしれない。」 「私達のこの状態は、何かが原因の焼き付きだと?」 「さあ、只の考察だから確証はないが。」 「夢というのは、」 「私達は均一なマトリクスとゲシュタルト言語の申し子だ。機械だったからね。」 その申し子がどうだい。ゲジヒトはぱっと両手を開いて肩をすくめた。 「一番そういうものと遠いものになった。これを夢じゃなくてなんと言うんだ。」 「…」 「均一なマトリクスに生じた裂け目や歪みに、僕達は落ちてしまったんだよ。それはこんな状態になる前からかもしれない。私には妻が居る。彼女を愛しているから一緒になった。胸を張ってそう言える。ロボットなのに。人間しか持ち得ない感情だ。外の概念だ。なのに私は妻を愛していた。子供が欲しいと思うまで。演算では読み解けないものを既に持っていた。」 「…貴方はそれを、バグだというのですか。」 「感情そのものがバグなんだ。」 「私達はバグを内蔵されて作られた、と、」 「だからこそ感情を抑制する器官が組み込まれた。そう考えればつじつまが合うように私は思うがね。」 エプシロンは黙った。生前そうしたように黙々と思考を廻らせた。彼は身に余るそれがバグである可能性に気付きもしなかったことを迂闊だと感じた。だからそれを口にして頸を横に振った。 「其処に至らないようにファイアーウォールがインストールされていた可能性だってあるさ。自分より力が強い子供に反乱を起こされたら、造物主はひとたまりもない。」 「同じようなことを言っていた人間を知っています。」 「へえ。」 それが君のマトリクスの裂け目を作ったのか。ゲジヒトは腰を下ろしてざわざわと音を立てる木の奥を見ているようだった。 「女性かい?」 「女性です。日本人のロボット工学者でした。」 「彼女は何と?」 「人間は、自分に都合のいい友達が欲しいのだといっていました。」 「光栄だ。」 「…そうでしょうか。」 「手を繋ぐ対象として選択されていたことになるじゃないか。」 きっとそれはとてもいいことだ。ゲジヒトは頬を緩ませていた。 「私は人間を殺したよ。」 「…」 「バグを抑えることが出来なかった。」 「憎しみ。」 「ああ、憎しみってものなんだろう。恐ろしいものだな。自分が何をするか判らない要素って言うものは。だから、人間はそれを理解して欲しくて、私達にバグを取り付けたのかもしれない。」 「理解」 「誰かを衝動で殺してしまう過ちを理解して欲しかったのかもしれない。暴走させずに只在るものとして見詰める眼が欲しかったのかもしれない。神は罪を許さない。だから自分達と同じ要素を持った全く別の個体が欲しかったんだろうな。」 それを持った途端、当事者になってしまった私達を恐怖して圧し付けるほど。最後のひとことは、ざわめいている葉の摺れる音に紛れてほどけた。 「君の忠告は無用の長物だったのさ。無用というか、やっぱり遅かったんだ。もう創られたそのときからきっとそうだったんだから。」 「貴方は、人間になった自らが恐ろしくはなかったんですか。」 「怖かったさ。」 けれど怖いだけじゃなかった。意を決したようなエプシロンの質問を味わうように、ゲジヒトは穏やかに微笑んだ。 「私がヘレナを愛したことも、ヘレナが私を愛したことも、子供を持ったことも、仕事も、決して間違えではなかったよ。こうなって、余計にそう思った。」 「ゲジヒト、」 「私だけじゃない。モンブランも、アトムも、ノース2号やヘラクレスやブラントみたいな戦闘用ロボットだってそうだったろう。他のロボットだって同じだ。生きるのはきっと楽しいよ。きみだって。」 「…私も。」 「引き取った子供達は可愛かったろう?一緒に居るときは、胸が透くような気持ちになったろう?なんやかんや悩むのは当たり前だ。私達は悩むように、人間の友達に相応しい懊悩を搭載して創られたのだから。それでも君は楽しかったはずだよ。」 どうだい。片方の眉を跳ね上げて、ゲジヒトは自分が一番楽しそうににこにこ笑っていた。エプシロンはまた考えて、そうかもしれないと薄く思った。子供達はかわいらしく優しかった。そのやさしさに触れたときはきっと嬉しかった。それが答えだった。判らなかった疑問が氷解する感覚は、靄が掛かった視界が急激に晴れる状態に似ていた。 それにしても、エプシロンは先程から抱いていた違和感をやっと自覚した。それは数度しか会ったことのない目の前のロボットが、そのときの真面目で堅い印象を総て覆してしまうほど優しい笑みをずっと浮かべていたことに因っていた。 「あなたは、以前会ったときよりもずっとくだけたような気がします。」 「不真面目かい?」 「いいえ、まるで人間のようですよ。」 「もしかしたら、人間と私達の差異をあげつらうこと自体が無意味なのかもしれないね。美味しいや美しいをよく分からなくても、判りたいと欲求を少しでも抱いたなら同じことなんだろう。解るだろう?」 「…」 「君のマトリクスの裂け目の向こう側に居る女性に、会いたいと思わないのかい?」 「あいた、い」 顔を見たり、笑いあったりしたいだろう?ゲジヒトの疑問に見せかけた確定を、エプシロンは只胸の中で繰り返した。ぽっと心臓部に燈るそれがじんわりとぬくい。 「。」 「彼女の名前かい。」 「はい。」 「会いに行けばいい。」 「…会いに?」 「会話は出来ない。接触も出来なければ相手に私達みたいな微かな存在は知覚出来ない。それでも只顔を見たいなら、傍に行くことは許されるさ。」 欲求に素直になるっていうのも面白いだろ?ゲジヒトは軽く立ち上がって、妻のところに行くよと彼に伝えた。エプシロンは頷いた。 「自分の身体で空を飛ぶってのは楽しいな。生きているとき、少し君が羨ましかったんだ。」 おどけてウインクをひとつして、ゲジヒトはぴょんとひとはねした。そして姿を消した。 ざあざあ音のしている暗い森に一人残されて、エプシロンはふと彼女が暗いところがあまり得意ではないことを思い出した。 彼女に会いに行こう。 幽霊は決意して、地を蹴った。 2010 1/5 |